第十四回 御茶ノ水(東京都 千代田区・文京区)

お茶の水 文学のかほりたつ地にて蚊にさされ


*グレー色の東京の街の中で、色が目立つ。

まだ夏の日差しが残るお茶の水にて、お参りでもと思ったら、駅から少しだけ歩けば、もうすぐに、おおきくて派手な大鳥居が見えた。
道路から見える鳥居は、貫禄や何やらをとっぱらって、ただただ派手だった。
都会の真中だと、大きさが強調される。これが京都ならこうはいかない。道の広さで、こうも違うとは、それだけ東京の道は狭いのだ。
車を運転しない私は普段はそんなに実感としてはないが、東京を離れて、地方などに行くと実感する。
そんな道路からの道をすっと横に曲がると、更に大きくて派手な鳥居がある。



*店の横は、甘酒を飲ませてくれる茶店状態だった。入ってみたい気持ちもあったが、入らなかった。

私は、こういった店を見ると、幼い頃を思い出すような感覚におちいる。別にこういう店があったという幼い記憶はないのだが、
何故かしら、懐かしいという安堵の気持ちがふつふつと湧き上がるのだ。
10代ぐらいの若者が、こういう店をどのように感じるのかが気になるところでもあるが、よくお土産屋などはこういう趣きであるから、
土産屋のような感覚で見ているのであろうか。土産屋に共通するところは、わけのわからないキーホルダーや、和風小物が数多く売っていて、
「これおばあちゃんに買ってってあげよう」などと思ってしまう。決して、自分には買わないような物でも、人には買いたくなるような物がある。
あと、自分で買うまででもないが、人からもらったらかなり嬉しいという物もある。というか、そんなことばかり思う私。



*昔、チェッカーズの「TAN★TAN★たぬき」という映画があった。チェッカーズファンだった私の遠い記憶。

たぬきくんがいた。よくこういう場所にたぬきはおられる。でも、店の看板より目立つこのお方は、笑っているのか、何かしゃべっているのか、
歯が怖かった。ここで、その口の中に手を入れて『ローマの休日』のあの名場面ように、驚かされてみるのもおつである。
そんなことをしている人がいたら、[真実のたぬき]として、名を広め、このお茶屋兼土産屋も少しは繁盛するであろう。
かなり長身のたぬきくんであった。現代的。



*派手

派手である。神社というものは、いつもお祭り状態のような造りのところもあれば、
落ち着いた趣きを大事にしてる造りもあり、どちらも好きだが、ここは、下町風の派手さがあった。
平日であるため人もまばらだったが、熱心にお参りをしていく人が何人かいた。
私は、神社やお寺好きなので、こういう風景だけで、心がなごんでしまう。
京都にまでもいかなくとも、東京内で神社、お寺巡りでも一度したいものである。
神社というと、赤が印象的なのだなと改めて認識してしまった。
日頃、あまり赤に興味を示さない私であるが、こういう場所にくると、赤のもつ色の印象が違ってみえる。
赤のお財布は、赤字になると言われてあまり持たないほうがいいという話を聞くが、あれは本当なのだろうか。
実験してみてもらいたいものである。何人かに、何年間かずっと赤いお財布を使ってもらって、赤いお財布を使ってない人との違いを実証とか。
とても興味があるのだが、自分でやってみる自信はない。



*すみっこのところにあるわりには、目立って置いてあった。

こういうものが置いてあることが、今や珍しい。私は今まで生きてきたなかで、こういう顔の部分に顔を入れて写真を撮ったことがないような気がする。
銭形平次である。銭形平次になるより、銭をふるまってもらってる側になりたい。
私は、一時期、「鬼平犯科帳」にはまって、小説全巻読んだことがあった。それ以来池波正太郎さんのエッセイも読み出し、ファンになったのだ。
最近、本を読まなくなってしまったので、これを機会に読むことにしよう。
ありがとう、銭形平次。



水の流れる音は心をなごませ、落ち着かせる。

水が出ている石!?と思い、かなりインパクトがあった。石と水の関係って、どこかなごませる要素がある。
修行を思わせるかのような、激しい水の流れが石のなかにあった。この大きさぐらいの石で水が出ているのは、はじめて見た。
なにげに、こういう物を見て楽しめる私なのである。
デートで、神社巡でもOKである。なんだか、おじいちゃんおばあちゃんのように、おだやかに。



お賽銭所
*以前ラジオ番組を一緒にやってたN氏に聞いて以来、お賽銭はいつも20円。
何故かというと・・・


私がお参りしようと、お賽銭所に行ったら、どこからともなく人がぱらぱらと来て、パンパンと手をたたきお参りしていった。
私は、客寄せで、どこに行っても混んできたりして、まさか、こんなところまで混まなくてもという時も混んでくる。
この時も、ひとりでお参りをしたかったのだが、待てども人がやってくるので、
仕方なしに、どなたか知らないおじさんのとなりで、一生懸命お参りをした。
この時も、この方々は他人であるのに、一緒に何か同じことをお参りしてるように見える。
私は、誰かと一緒にお参りしたりすると、思いがごちゃごちゃになってしまうような気がして、
なるべく、ひとりを好むのだ。でも、そんなごちゃごちゃになってしまうようじゃ、心の意思が強くないのかもしれないのだが。



*小さくて白いちょうちんが、綺麗に並んでいた。

ちいさくて白いちょうちんが綺麗に並んでいた。それはそれは、几帳面に並んでいて、ちょうちんの上に書いてある文字も小さくて、
几帳面さ現れる神社である。
こんなにちいさくて白いちょうちんが綺麗に並んでいるのは初めて見た。おもわず、うわーと声を上げたくなくぐらいのちいさなちょうちん。
私の高校時代のお友達の旦那さんは、ちょーちんというあだ名だったのを思い出した。その子は、
私と同い年で、今多分中学生の子供がいるはずである。
私に中学生の子供がいるのと同じだと思うと、びっくりするような、しないような。



巨大おみくじ
*ゴジラが引くのか!?


これはでかい。おみくじ好きの私もさすがにこれには驚いた。この日はめずらしくおみくじを引かずに帰ったのだが、
今思えば、この巨大おみくじ、引いてみれば良かったのである。
どうやって引くのかわからず、しかも、あたるのかなという不安をもたせるこの笑える大きさ。
普通のおみくじもあったのかもしれないのだが、このおみくじのインパクトの強烈さに、おみくじを引く気持ちがすーっと引いた。
でも、このおみくじで、大吉が出たら、かなりの大吉なんじゃないかと思ったりもする。その逆に凶だったりしたら・・・



竜の水場
*ハイテクセンサー付き、竜がいた。竜の口からぱーっと水が出て・・・というのがハイテクセンサー機能らしい。


センサーが反応して水が出ますとか紙に書いてあって、ぶらぶらと竜の後ろにぶら下がっていた。
それがやけに、「ハイテクセンサー」とかけ離れていておもしろかった。どうして、そこまでハイテクに?と問いかけたくなるような感じである。
神社と、ハイテクは、合わないのである。でも、最近、神社でライブをしたりする神社もあるし、ここも、何かやってやるという意欲を感じさせる。



開運商売繁盛
*商売繁盛しますように。


上を見て目線を合わせてくれないのが、少しさびしい気もするが、なんともおかしな表情をしているのである。でも愛嬌があるということにしておこう。
お賽銭を入れて、その後巫女さんがやってきて、何やらごそごそやっている。これは、もしかして、お賽銭回収の時間だったらしい。
見届けたかった気持ちを残し、神社を後にした。
昔、巫女さんや、京都の舞妓さんに憧れた。巫女さんはバイトとかもあって、今思えばそんなバイトやってみたかったものだ。



笑顔こそ宝物
*まったくそのとおり。


さきほどのたぬきがいる茶店兼土産屋のところに、飾ってあった額縁の中の言葉。
実にその通りである。赤ちゃんの笑顔のように、無垢の笑顔を見ると、それだけで、宝だなと思う。
大人になっても、笑顔を絶やさない人でありたいものだ。笑顔の素敵な人はやはり、心もそれにともなっていると信じたいものである。



真っ黒鳥居
*墨汁のようである。


神社近くにあったこの場所には、おもいもよらぬ事件が待っていた。
この夏、ほとんど蚊に刺されなかった私が、両足一気に10個所以上も刺されてしまったのである。
自分自身に悔しくて、何故、蚊にさされてることに気がつかなかったのかと、腹がたつ。
蚊に刺されたため、ここの印象はかなり悪い。がしかし、こんな所にこんな静かで、真っ黒な場所があるのかと、少し感動すらした。のに、
蚊に刺されるなんて、もう絶対に近寄りたくない場所である。
と、ここまで、嫌うことはないのだが、JR東海の京都のCMを思わせる、風格を味わえたこともたしかだ。あのCMは京都のCMなのか?



しゃちほこ

名古屋の金のしゃちほこを思わせる。空から、人間達を見下ろしてるかのような、正体不明の動物も何体かもいて、ぶきみな感じであった。
でも、この日の空はきれいにすみわたってて、不気味さとさわやかがまざりあった不思議な光景だった。

帰りは、蚊に刺された動揺で、急ぎ足で、薬屋に行き、「こんなに、こんなに、蚊に刺されたんです」と薬屋の人に説明しても無反応で、
かなり、さびしかった。そして、虫刺されにきく塗る薬を購入し、ウエットティシュも買って手をふいて、蚊にさされまくった個所に塗りまくった。
そのあと、2、3時間して消えた時は、本当にほっとした。後に残ったらどうしようかというぐらいの数で、
蚊のやつめ今度会ったらただじゃおかないという程の対等な気持ちで、怒っていた私である。

大学生が歩くなか、蚊に刺されてる人は今私だけなのではないかと、きれいな大学を横目に、
こんなきれいな大学は大学じゃないなどと怒りのほこさきを変えるのであった。

生きてるってこんな感じ。蚊に刺されて実感。


(第14回おわり)