少しずつ愛するということ

愛、それは「かわいがり大切に思う、こと(心)」…
と辞書に載っていた。「少しずつ愛して」は、
少しずつかわいがり大切に思う心を持って…
ということになる。少しずつ…。
少しずつ愛するってこと、これは原点?
親が子供に対する愛情も、子供が親に対する愛情も、「少しずつ」が大きくなっ
た「愛」。
水前寺清子の歌で、幸せは歩いてこない
だから歩いてゆくんだよ、一日一歩三日で三歩
三歩進んで二歩下がる。というフレーズがあるけど、「少しずつ」がなければ幸
せも愛も休んでしまう。
「少しずつ」って言葉にプレッシャーを感じてたのはその為だったのか…。
私は何事にも少しずつというよりも「一気」に
やってしまうことが多い。でもその一気にやる
までが少しずつだったのかとも思う。

そんな私が、少しずつ愛してるのは、携帯電話。
なんの気なしに持ってる携帯電話だけど、その
存在感は大きい。携帯電話は小さいけど、大きい。
そんな存在感が大きいにもかかわらず、
大事な仕事をしてる時や何かに集中してる時には
思い出しもしない携帯電話の存在。
ほっぽり投げられてる携帯…。
でもそんな仕事や集中してたことが終わると、
すぐに大事がられる携帯…。それは、
大事な何かを届けてくれる瞬間のみに愛される
運命なのだ。
少しずつ生活をともにしてきた携帯。
自分の持ち物の中で、同じ物をいつも変わらず
持ち歩く物は少ない。
いつの間にか携帯がなくてはならない存在に
なってしまっている現在。公衆電話の数も
少なくなってきている現在。
こんなに携帯を愛してしまった今、
携帯から離れることはできないと思ってしまう私。
何故携帯を愛するのか?
それは自分の愛する人からの声を言葉を
伝えてくれるから…。だから
愛する人がいつもそばにいてほしいという
寂しい人間が持つ持ち物なのかもしれない。
仕事が大好きな人間、仕事を愛している人間が持つ
持ち物なのかもしれない。

もはやこれは携帯電話ではない。
携帯…