山本正之のズンバラ随筆  第10話            古来情緒の応援

 

今から12年前、1988年晩夏。ちょうど、ポコポッコン、ポコポッコンと、アルバム

デビューした頃のこと。

我が愛する中野坂上コーポラスの管理人のおじさんが、ボクの仕事場の窓の下から声をか

けた。「おーーい、やまもとくーん、おきてるかー」、夜中の2時であった。

たぶん、歴史シリーズのなにかを作曲している最中だったと思う。カーテンを開け、窓を

開け、「うん、おきてるよー、なーに?」と顔を出した。おじさん、「ほーらっ」って

ソフトボールくらいの大きさの物を放り上げた。(ボクの仕事場は二階。)

あわてて両手を出して受け取る。ハーゲンダッツのアイスクリームだった。おじさんは、

フラフラしている。顔、赤い。いいご機嫌だ。「おじさんありがと。いっしょに食う?」

「いいよいいよ、かあちゃんと食べな。」おじさんは下町育ち、昔、木場の鳶職だった。

「やまもとくん、こんなことも、もうできなくなっちゃうよ」、おじさんの足場は、マン

ションと神田川の狭間の一間くらいの幅の中庭。ツツジの植え込みの手前。

「もうすぐ工事が始まるからさ」。

なんだって?聞いてねえぞ?

「ええ!?こうじ?」

「おおよ、川の補修よ。この庭はさ、都の土地でよ、借りてんだよ。明日、帰す手続き

 するんだよ。奥の社長(マンションのオーナー)の銅像もどかすんんだよ」

なんだってーー!?、そんなばかな、うっそだろおーーー、「じゃ、そこ、どうなるの」

「遊歩道だってよっ!」

神聖な私の仕事場の真下(マシタと読む。けしてアニメ監督の姓ではない。)が遊歩道?

じゃ、深夜にアベックがイチャイチャフンフンするのか?浮浪者がカラの一升瓶をなめな

がら宴会するのか?猫がエッチするのか?受験生が息抜きに体操するのか?そうなのか?

「じょーーーだんじゃねえよおー!」。

 

 翌日から、新居探しが始まった。

 

中野坂上を離れたら、次は江戸に住もうと望んでいた。隅田川の辺りだ。墨田区江東区。

ボクは森下の交差点から清澄に向かって歩いていた。左が深川小学校、右が常盤。そこで

信号が赤になった。立ち止まって、向こう側の婆ちゃんの杖を眺めていると、後ろから

自転車が来た。安全運転。ボクの右目の視界が和模様の浴衣をとらえた。

その人は、使い古しの下駄をガードレールに掛け、もう片方の下駄でペダルを押さえてい

る。髷付け油の香りがふわっと漂う。

 おすもうさんだ。

少し下を向いて、黙っている。メガネかけててまだ若い。買い物篭にネギとかトマトとか、

ココナツサブレとか。

信号はちっとも青にならない。いやちがう、青になるな、そうボクが思ったからだ。

 

昭和45年春。東京に出て来て、町で初めておすもうさんを見た時、うれしかった。

ラッキーーって感じ。その日一日ずっと幸せだった。ボクが、特に、自分は日本人なんだ

と確認するのはこの時だ。おすもうさんに会った時だ。無意識に、おすもうさんの近くに

住んでいたのかもしれない。阿佐ヶ谷には日大相撲部や花籠部屋があったし、中野坂上の

前にいた中野新橋には、二子山部屋(当時は藤島部屋)があった。日曜日に、菓子パンを

かじりながら散歩して、藤島部屋の前を通ると、おかみさん(今、話題の婦人)が、ゴム

長をはいて親方のクルマをせっせと洗っていた。(マスコミ!彼女をいじめるなよ!。)

その脇で子供が遊んでいた。男の子が二人。

いけねえ、話しがずれた。隅田川沿いの、信号青になるな、だったっけね。

 

そこはかとなく、もじもじしている若き角力に、ボクは話しかけた。

「あのー、部屋はどこですか?」。おすもうさん、答える。「はい、大鵬部屋っす。」

ボク、励ます。「がんばってね、大銀杏結ってね」 「はい、がんばります」

信号が、青に変わった。おすもうさん、ゆっくりと自転車を動かす。(ボクの記憶の中の

数少ない、自転車の美しい姿のひとつ。)           おすもうさん、半分くらい振り返る。

ボク、ちいさく、「せきとり、ね」 おすもうさん、もっとちいさく、「がんばります」

 

その五年後。江戸ではなく、中野駅至近の最新高級賃貸マンションに移り住んでいた、い

いかげんなポリシーのボク。ちょうど仕事の合間で、午後1時、NHK衛星の大相撲中継

を見ていた。三段目か幕下下位だった。忘れられない顔が画面に映る。

あのすもうとりだ。やってる。めげずにやってる。字幕がでた。右側だ。

「 大殿。 大殿、 だいでん、だ、い、で、ん、      たいほうべや、だいでん!」

 まちがいない。大鵬部屋だ。

「大殿っていうのかあ!」、

 よおーしっ!、こいつを応援するぞおー、 こいつが、だいすきだ! 

 だいでーーん!だいでえーーん!がんばれがんばれだあいいでええん!

 

それから大殿はじわりじわりと番付けを上げ、二年後には幕下上位、そのまた二年後には

いよいよ関取・十両かという位置まで昇ってきた。十両に成ったか?関取に成ったか?

微妙な時期に、ボクはニューヨークに行ってしまい、事実はわからない。

しかし、取り組みのタイミングかもしれないが、

おそらく、きっと、大殿は怪我をしたのだろう。

その後、NHK衛星の大相撲放送時間枠で、彼を見ることは無かった。

現在、推定年齢30歳。もう、引退、いや、廃業してしまったのだろうか。

 

ところが、

平成12年11月の九州場所、

14度目のニューヨークから帰国し、時差ボケを直しながら、ごろんとテレビを見るボク

の前に、

大殿は現れた。

西幕下42枚目。相変わらずの、おっつけ、はず押し、右上手、寄り。

森下と清澄のあいだの信号で、「がんばります」と呟いたあの顔から、メガネをとっただ

けの、あの大殿が、 やってるよ! まだまだ。まだまだ。まだまだ。

のこった、のこった、のこった、!

こいつを、応援するぞっ!

 

偶然というか、出来上がっている仕組みなのか、

大鵬部屋は、毎年、日本赤十字に寄付している。毎年一台、障害者用のワゴン車を寄贈し

ている。大鵬親方の写真を、愛宕山の赤十字社の応接室で見た。

同じとはおこがましくて言えないが、近いことをボクらもしている。

人の痛みがわかるほど、自分の痛みに強くなる。

河から海に流れるように、苦境の克服の大きな助力になる。

どこかの誰かの、一人の人生が、いつもボクを見守ってくれて、いつも激励してくれる。

大殿がんばれ。

心から、応援するぞ。

がんばれ!大殿!。