山本正之のズンバラ随筆  第21話 黄金週間の回顧

 

昔は「飛び石連休」っていったんだよ。庭に並べて置かれた敷石の上をいっこ

ずつ飛び越していくように、4月29日・天皇誕生日で休み、30日出社、

5月1日・メーデーで休み(労働者のみで管理職は出社)、2日出社、3日・

憲法記念日で休み、4日出社、5日・子供の日で休み、って       

うちの父は平社員だったので、まさに飛び石。「だからかえって疲れるんだ」

とも言っていた。天皇誕生日と憲法記念日には、心の中ではなく、実際に現物

の「日の丸」を玄関に立てた。五月晴れの青空の下、白地に赤く、はたはたと

翻っていたなあー。

父が家にいることは、うれしくもありまた、窮屈でもあった。なにせ、うちの

父、厳格である。そして、細かいことにも気がまわる。たとえば、襖を5ミリ

残しても、「ピシっと閉めなさい」。食事の時は正座。テレビを見ながら髪の

毛をいじっている姉に「じゃまなら今すぐ床屋に行って刈り上げていらっしゃ

い」。家の中での口笛は禁止。驚きの表現「うっそーーっ?!」は、相手を疑

うことになり失礼なので絶対言っちゃダメ。

なので、「お父さんが家におる」ということは、即「おそがい」こと。

うれしいのは、たくさん教えてくれること。汽車や船や世界や時代や、戦争、

平和、人間、花、水、土、そのほかいーっぱい。

この父が、年に一回、子供の日だけ、その膝の上にボクを乗っけてくれた。

「だんだん、重くなるねえ」と、毎年言った。ボクの耳の後ろで銀紙のタバコ

の匂いがした。茶の間の北の窓の向こうを、東海道本線が走る。

 

 ある年、

「子供の日は、お父さん絶対に怒らんで、安心していいよ」、と宣言されて、

ボクと姉、チョー疑いつつも、ちょこっとずつハメをはずす。まず、奥の部屋

のタンスの前の踏台に乗って、ボク、少年歌手・目方誠(後の美樹克彦)のモ

ノマネ。姉、観客になってワイワイ拍手。父、寝転んでいる。ボク、裁縫用の

三尺物差しを持ち出し、旗本退屈男のモノマネ「プハッ、諸刃流青眼崩し、天

下御免の向こう傷、この眉間の三日月がうづづいてくるわ、パハッ」、姉、映

画館の観客になり、お菓子をかじる。父、小さな寝息。ボク、ロカビリーのモ

ノマネ、ホウキを抱え後頭部を畳に支える形のブリッジで「ビーバッポローラ

ーシスマイベービー」、姉、少し、ボクとの距離をあけはじめて、部屋の隅で

お茶を飲む。父、イビキ。ボク、そおーっと、父のハナをつまむ。姉、寄って

くる。父、熟睡。ボクと姉、しばらくの時間、父の体に触る。たもとから手を

入れてみたり、ノドボトケをさすってみたり、足の親指を自分のと比べたり。

完璧に緊張が無くなったその時、ボク、つい、口笛を吹いてしまった。

「ヒューヒュッヒュ、ヒューヒュー」

それはまるで大魔神の顔が変わる時のようであった。まだ五月なのに、でっか

い雷が落ちた。

ボク、言い訳をする「ほいだって、怒らんていったじゃん‥‥、」

その言い訳で、また、叱られた。

 

子供の日、あの頃は「子供の日のプレゼント」なんてなかった。ボクたちは、

右手に砂糖菓子を持ち、左手を国旗にかざして、自由に、舞い遊んでいた。

父も母も、それを見て楽しみ、晩御飯には本物のてんぷらが出され、食後は、

家族でトランプをして笑い合った。負けた父を指さして、この時だけ

「ああーあ、お父さん、あっかんねえーー」と、なじれた。

 

東海道本線の深夜貨物が走る。

ボクは蒲団の中で、ほんのりと、父の膝を想いながら眠りに入る。

 

だからというわけではないが、

やはり、膝乗りは一年に一度が気持ち良い。ね。