山本正之のズンバラ随筆  第23話 緑雨前線の趣向

 

ちびっきー頃から、雨がすきだったなあ。ボクらの頃は、幼稚園児でもカサの

色は黒。柄のずいぶん上の方を持って、くるくるまわして歩いた。長靴を履い

ているので、水溜りもなんともない。バシャンバシャンはいった。でも、そこ

にアメンボウがいると、よけた。三人くらいで外側からアメンボウ一点に眼が

集中した。水溜りの中に子供の目玉が6個、映っていた。

家に帰ると、お母さんが、とりあえずボクを裸にする。着ていたものが湿気を

多量に含んでいるので、体が冷えるのだそうだ。熱いお湯に浸した手拭い(タ

オルはまだ三河地方には普及してなかった)を、キューッとしぼって、背中、

胸、お腹、の順に乾布摩擦。おしりは、どうだったかなー、なんか、撫でられ

たような記憶はあるが。そして、パリパリに乾いたシャツを着せてくれる。

次はおやつだ。おやつは‥‥、ない。御察知ください、昭和三十年代の山本家

ですから。でもある日、誰かが、当時としては超高価な「ケーキ」をくれて、

もったいないので、半分たべて、あと半分、とっておいた。それが2日前のは

なし。もちろん冷蔵庫などあるわけがない。茶箪笥から出して、右手でつかみ

(もちろんフォークなんか、三河地方に普及していないし、子供心に、まさか

お箸でこの洋菓子を食すべきではないことは感じていたので、素手で)口に入

れようとしたら、母が叫んだ。「あかんっ!、あかんよ、マー君、たべちゃ、

あかん!」「なんでえーー?!」、「下のほうが、カビとるがね!。」

ボクは、じぃーっとそのケーキを見つめる。母、台所から古新聞を持ってきて

(近年スーパーでもらうプラスチックバッグ=当家では「シャワシャワ袋」と

呼んでいる=などは、三河地方では普及していない。あ、このシャワシャワ袋

の登場は全国的にもっと後か。)ケーキをボクの手から奪い取り、新聞紙に包

み、下駄を履き、傘を差し、金五郎用水まで流しに行った。何故、家のごみ箱

に捨てなかったのだろう。ボクの食欲の節操に信用が無かったのだな。

ひとり、ケーキの消えた右手をながめるボク。親指と中指にクリーム。

ペロッ、。

 

雨が続くと、一人遊びも続く。母の和裁の裁ち台のはしっこを借りて、折り紙

を折る。鶴は苦手だったが、二双舟は得意だ。色紙を切る。母の余り布をもら

ってそこに貼る。アートだ。ボール紙を折り、糸の芯をつけ、中に割箸をとお

す。自動車だ。広告の裏にクレヨンで、緑色の海を画く、山吹色の花を画く、

ときどき、母が、「まーくん、」と声をかける。ボク、母を見る。

母、ニコっと笑う。

 

雨の唄も大好き。「雨ふりお月さん雲の上、お嫁にゆくときゃ誰とゆく‥」

お月さんもお嫁に行くのか‥‥、きっと、お日様のところだね、と、信じてい

た。「あらあらあの子はずぶぬれだ、柳の根方で泣いている‥」、ほんとにか

わいそうで、なんとかならんものか、と精一杯考えて、その唄の楽譜の挿絵に

大きな傘をかきこんだ。

「ブルーの雨がザンザン降ってる朝‥」、これも、大好き。

 

国鉄東海道本線・安城駅に、父をお迎えに行く。木の改札口(まだ三河地方に

スチールは普及していない)の、駅員が開けて、乗降客が出入りするところ、

それがウエスタンのバーの扉みたいになっていて、電車がついて駅員が来るま

で、その扉にぶらさがり、ターザンになる。駅員さんが来るのを発見して、何

もしてないよって顔で、脇に立つ。階段を下りてくる人。「お父さんはまだか

な‥‥」、ちょうど真ん中、十‥二・三人目くらいかな。、見えた!!

ボク、大きな傘を振る。父、改札で定期をみせて(この動作がカッコイイ。)

ボクのそばに来る。「お帰りなさい、ぼくが来るとは思わんかったでしょ?」

「しっとったよおー」、「なんでえ?」「ボクの目があんまり大きいもんで、

電車の窓から見えちゃったよ。」、この目、つくったの、あなたでしょ!。

 

今、大人。東京。でも、雨はすきだなー。特に、信濃町の駅を出たところ、

四谷の橋、千駄ヶ谷ビクタースタジオの前、新宿成子坂、池袋のトキワ通り、

どこも、雨に濡れて美しい。天の水に洗われているから、かな。

高円寺あづま通りの蕎麦屋に忘れたボクの傘、まだあるかな、きっと誰かが、

雨降りにさしているんだろうな。それで、いい。